Margaret Hiro Kimishima氏の論文 “Mutual Flourishing in the Vesica Pisces” が、シンポジウム The Role of Transdisciplinarity as a Scientific and Cultural Approach in Preventing Global Conflicts of Modern Civilization の論集に掲載されました。
近年の世界情勢を背景に、平和とは何か、そして恐れと勇気はどのように関わり合うのか。本論文では、神聖幾何学のひとつである ヴェシカ・パイシス を手がかりに、その問いが静かに見つめられています。
今、私たちは古い価値観と新しい価値観の狭間に立っているのかもしれません。異なるもの同士が、互いを消し合うのではなく、重なり合うことで何が生まれるのか。本ページでは、その論文の内容を日本語でご紹介します。
論文について
本論文は、平和、スピリチュアリティ、神聖幾何学、そして人間の内側にある「恐れ」と「勇気」の関係性を扱った論考です。
著者であるMargaret Hiro Kimishima氏は、神聖幾何学における ヴェシカ・パイシス を手がかりに、異なる力や立場が互いを消し合うのではなく、重なり合うことで新しい調和の場が生まれる可能性を探っています。
そこには、人間社会の対立や不安だけでなく、植物界に見られる相互扶助、先住民の知恵、神道やアニミズム的な世界観も重ねられています。自然界のあり方に耳を澄ませながら、「平和とは何か」「共に生きるとはどういうことか」を問い直す論考です。
要約
この論文の中心にあるのは、恐れと勇気 の関係性です。
人は、自分の安全、居場所、アイデンティティ、あるいは大切にしている世界が脅かされると、恐れによって防衛的になります。しかし、その恐れはときに、怒りや正義感を通じて、勇気ある行動へと変わっていくこともあります。
著者は、この恐れと勇気の関係を、2つの円が重なり合うヴェシカ・パイシスの形に重ねています。片方の円を恐れ、もう片方の円を勇気として見たとき、その重なり合う場所には、対立するもの同士が互いを否定せずに出会う空間が生まれます。
本論文では、この重なりの場が、平和の象徴として捉えられています。平和とは、単に争いがない状態ではなく、異なる視点、感情、意図が共存し、新しい可能性を生み出していく、意識的な交差点なのだと示されています。
さらに、植物界は相互繁栄のモデルとして描かれています。木々や植物は、危険に反応し、周囲と情報を共有し、地下の菌根菌ネットワークなどを通じて支え合っています。そこには、支配や奪い合いではなく、相互依存によって生命が続いていく姿があります。
Global Wisekeeper Networkにとって本論文は、科学、文化、精神性、自然知、先住民的な知恵が交わる場を考えるうえで、大切な示唆を与えてくれる論文です。
全文日本語訳
以下は、Margaret Hiro Kimishima氏の論文 “Mutual Flourishing in the Vesica Pisces” の日本語訳です。著者本人の許可を得て、Global Wisekeeper Network に掲載しています。
原文の意図を大切にしながら、日本語として読みやすいよう、一部表現を整えています。
Abstract
同調的な関係性とは、個人と集合、それぞれの要素がどのように互いに作用し合っているのかに目を向けるものです。この考え方は、社会の中にいる個人同士の関係性や、コミュニケーションのあり方にも当てはまります。
近年の研究では、植物がさまざまな方法でコミュニケーションを行っていることが示されています。そこには、植物界において「相互繁栄」が根本的なあり方として存在していることが見て取れます。植物は私たちの存在を支えながら、同時に自らの生存も保っています。
木々のあいだに見られる関係性には、やさしさと受容の姿があります。木々は何かを強制したり、押しつけたりすることなく、ただ今この瞬間に存在しています。
同調的な関係性が損なわれるとき、この「ただ在る」という状態は、人間の本質におけるバランスと調和を表す ヴェシカ・パイシス によって象徴することができます。
また、ネイティブ・アメリカンの人々は、地球上のあらゆるものは誰か一人の所有物ではないと認識しています。同じように、古代の人々や、シャーマニズム、神道のようなスピリチュアルな世界観も、自然界に対する深い畏敬の念を表してきました。
人間のエゴが、自己中心性と利他性のあいだで揺れ動くとき、大きな葛藤が生まれます。もしヴェシカ・パイシスの右側の円に「恐れ」があるとするなら、左側の円には「勇気」という言葉を置くことができるでしょう。
私たちは、まるでピンボールのように、この2つの状態のあいだを行き来しています。それは、現在の世界各地に見られる政治的な動きにも反映されているように見えます。
そして最終的に、私たちは問いかけることになります。何が平和と調和を育むのか。植物界に見られるような、複雑さを持たない自然な関係性の中に、その答えの手がかりがあるのかもしれません。
1. Introduction
すべては、何もないところから生まれます。生命の誕生のように、細胞分裂のように。ひとつのものがふたつに分かれ、進化し、発展し、やがてある状態へと戻っていく。その姿は、現在の世界のあり方を象徴しているようにも見えます。
アメリカ、ヨーロッパ、イギリスなどの先進国では、右派的な感情の高まりに対して、人々が自己防衛の感覚からまとまろうとする傾向が見られます。右派的な感情が進むにつれて、民族的・文化的なアイデンティティが強調されることがあります。
特に、自国の伝統や価値を守ることの重要性が強く語られるようになると、移民や異なる文化を受け入れることがより難しくなっていきます。
Maykel Verkuytenらは、“Right-Wing Political Orientation, National Identification and the Acceptance of Immigrants and Minorities” の中で、「国民的ナルシシズム」とは別に、「国への愛着」は、その国に属しているという安全で安定した感覚を育むと論じています。
しかし、そのような国への愛着は、恐れ、不安、怒りといった感情が高まるときに利用されることがあります。人々は、それらの感情に対処するために、より極端な立場を取るようになることがあります。
こうした感情的な反応は、右派的な感情を育てる要因にもなり得ます。そして多くの場合、これらの要素は互いに結びつき、個人や集団の心理に深く影響します。
その結果、人々は、自分たちが属する場所を確保しようとして、対立するふたつのイデオロギーのあいだを大きく揺れ動くようになります。
本稿では、神聖幾何学である ヴェシカ・パイシス を用いながら、人類が対立するイデオロギーのあいだに、どのように自らの空間をつくってきたのかを考察します。その空間こそが、平和であると本稿は論じます。
本文後半を読む(第2章〜結論)
2. The Power of Intention
ヴェシカ・パイシスとは、2つの異なるエネルギーが、それぞれの性質を保ちながら互いを受け入れ、新しいエネルギーを生み出す現象であるとされています。
新沼玲子氏は、「光の幾何学としての神聖幾何学模様 ヴェシカ・パイシス ― 神の目」の中で、描くことの始まりは、ひとつの点と、そこから伸びる線によって円が形づくられることにあると述べています。それは、神が地球を創造した瞬間を象徴しているとも言われています。
しかし、点が置かれた瞬間、そこにはすでに次の動きが始まっています。言い換えれば、そこに 意図 が働くとき、これから引かれる線の方向が決まっていくのです。
私たちの二元的な社会において、人間のもっとも根源的な感情である 恐れ と 勇気 は、人々を安全の探求へと向かわせます。
人は生まれてから7歳頃までのあいだに、自分が安全な環境に属しているかどうかを最初に学ぶと言われています。Christine Pageは著書 Frontier of Health の中で、人間にとって最も大きな恐れのひとつは「属していないこと」であり、それは「拒絶されること」への恐れとしても表れると述べています。
所属感や安心感は、その人自身の内側の必要と結びついていなければなりません。では、人が居場所の感覚を失ったとき、どのような行動を取るのでしょうか。もし最初に描いた円が自分を満たさないものであれば、人は状況を変えようとして、新しい円を描こうとするでしょう。
けれども、ヴェシカ・パイシスを形づくるためには、2つ目の円が最初の円と調和していなければならないことを忘れてはなりません。もし最初の円が歪んでいれば、それと同じように描かれる2つ目の円もまた、歪んだものになります。
恐れに基づいた意図が生まれるとき、人は仕事、物質的な所有物、アイデンティティ、愛する人などにしがみつきやすくなります。その執着は、「失うこと」への恐れを生み、自分が持っているものを守ろうとする行動につながります。
しかし、本当の安心感は、自分が何を所有しているかによって生まれるものではありません。安心感は、目の前の状況がどのように見えていたとしても、自分が何者であるかを認めることから生まれます。
Pageが述べるように、自分自身について変えなければならないものは「何もない」のかもしれません。ただ、人生の一瞬一瞬を味わうこと。そのあり方の中に、安心の感覚が見出されます。
恐れは、人間にとって根本的なものに見えるほど深く、行動、信念、意思決定を形づくることがあります。
3. Fear Being in the Non-Secure Place
歴史は、恐れを根にしながら繰り返されてきました。恐れはさまざまな形で現れます。未知への恐れ、喪失への恐れ、争いへの恐れ、あるいは他者への恐れです。
Maria Jose Carmonaは、COVID-19の時期に触れながら、「私たちにかつてないほど高い安全を約束しているにもかかわらず、恐れと不確かさに満ちている逆説的な社会」について述べています。
人は、安全ではない環境にいるとき、不確かさの中に留まりやすくなります。歴史を通じて、こうした恐れは、戦争、社会運動、さらには帝国の興亡といった大きな出来事につながってきました。
実際、多くの戦争は恐れによって燃え広がってきました。それは、抑圧への恐れ、領土を失うことへの恐れ、あるいは他国からの脅威に対する恐れです。この恐れはしばしば、先制的な行動を引き起こし、緊張をさらに高めていきます。
人々が、自分たちの自由、権利、アイデンティティが脅かされていると感じるとき、抵抗のために立ち上がることがあります。それは、アメリカ独立革命やフランス革命のような蜂起や革命にも見られます。
Sarah Lischerは、“Causes of Communal War: Fear and Feasibility” の中で、抑圧された集団が、自らの文化的あるいは身体的な生存に対する脅威を感じるとき、「恐れ」や「不安」が戦争の引き金になると指摘しています。
人間の争いについての研究は、非常に古くから存在しています。アフリカの狩猟採集民のあいだでは、紀元前9700年頃に人間同士の争いがあったとされています。人類はいつの時代も、自分自身を中心に戻すための、子宮のように安心できる場所を探し求めてきたように見えます。
また、Michelle GarfinkelとStergios Skaperdasは、“Economics of Conflict: An Overview” の中で、争いとは、他者の利益に否定的な影響を与え、第三者には肯定的な外部効果をもたらさない状況であると定義しています。もちろん、争いを引き起こす理由にはさまざまなものがあります。
この議論は、人間の感情におけるもっとも原始的な反応を示しています。それは、ヴェシカ・パイシスの最初の円を描くときの、最初の接触、あるいは最初の意図として捉えることができます。
Michal Caldaraは、“A Study of the Triggers of Conflict and Emotional Reactions” の中で、引き起こされた争いは「感情的反応」につながり、それが「神経学的反応」として現れると述べています。この反応は、身体的・心理的な変化をもたらし、個人の行動を悪化させ、争いをさらに拡大させる可能性があります。
ある集団や国家は、先に攻撃されることへの恐れから、争いに踏み出すことがあります。この「先制攻撃」の心理は、緊張を高める要因になります。歴史上の多くの争いにおいて、国家は自らの生存や安全を確保するために行動しなければならないと感じてきました。
私たちは、自分が属する共同体が危険にさらされていると感じるとき、本能的に恐れを抱きます。それは、人間が古代から持ち続けてきた感覚です。
他の種と同じように、人間にも未知の刺激から自分自身を守るための仕組みが備わっています。神経科学者のJoe Dispenzaは、恐れと攻撃性はしばしば、生存のための主要な本能になると述べています。人がこうした「衝動」に基づいて行動するとき、そこには人間に内在する動物的な性質が表れています。
実際、人間にとって最大の恐れのひとつは、集団や共同体に「属していない」ことです。
人が脅威を感じるとき、過去の習慣、態度、行動、記憶に関連した回路によって、感情的に反応します。それらは「遺伝的に組み込まれている」場合もあれば、「経験によって組み込まれている」場合もあります。
言い換えれば、ヴェシカ・パイシスにおける最初の接点は、その人が属している基盤となる環境や状況を象徴しています。
人がそのような恐れを経験すると、その感情はさらに「恐れに満ちた思考」を生み出します。そして、その思考が身体と脳を刺激し、さらに多くの化学物質を放出させ、恐れの感覚を持続させ、強めていきます。
最初の意図は、最初の円の本質を形づくります。そしてそれによって、人はもうひとつの円を描くかどうかを決めるのです。
BleikerとHutchisonらは、自信の欠如としての恐れは、現在と未来に対する強迫的な不安へとつながり得ると指摘しています。恐れは危険な環境における生存の力であり、自然な防衛反応でもあります。それは、個人や国家が敵から自分たちを守るために、新しい行動を起こす重要な引き金になり得ます。
さらに、多くの人は沈黙が平和をもたらすと考えています。しかし、沈黙は感情的な窒息につながることもあります。「波風を立てるな」というよく知られた表現があるように、何も言わないことが必ずしも平和を意味するわけではありません。
二者のあいだに平和をもたらすものが何もないとき、攻撃されている側は、じっとしているか、前に進むかの選択を迫られます。自分自身の安全を守るためには、その選択肢はおそらく限られたものになるでしょう。
恐れは、個人や集団が、自分たちの安全、資源、アイデンティティが脅かされていると感じるときに生じます。その恐れは、集団の結束を強めることもありますが、同時に敵対的な行動や戦争の引き金にもなり得ます。
恐れは、攻撃的な行動を正当化するための心理的な基盤を与えることがあります。恐れは沈黙を生み、沈黙はさらに恐れを深めていくのです。
4. Courage Being in the Non-Secure Place
前述のように、ヴェシカ・パイシスは通常、2つの円が交わることで生まれる形であり、調和と二元性を象徴しています。この象徴は、異なる要素が交差するときに、新しい形が生まれることを示しています。
戦争という文脈においても、対立する双方の恐れと勇気が交差する地点が存在します。Joe Dispenzaが指摘するように、「恐れの反対側には勇気」があります。
人が未知の領域へ踏み出すとき、ヴェシカ・パイシスの2つ目の円が形づくられていきます。争いが生じるとき、そこには勇気へと向かう新たな意図が現れます。言い換えれば、戦争はエネルギー同士の衝突なしには始まりません。
敵からの脅威や危険が明確になるとき、人は自分自身、家族、共同体を守るために立ち上がる必要を感じることがあります。そのとき、恐れは勇気へと変容していきます。
具体的な危機に直面したとき、人は無関心や恐れを乗り越えようとする力を持つことがあります。では、そのような感情を乗り越えるきっかけになるものは何なのでしょうか。
Julia Sasseは、怒り が、個人の道徳的信念のために立ち上がり、勇気を示すための重要な情報源になり得ると指摘しています。彼女は、怒りが勇気ある行動を取るための道具になり得ると論じています。
実際、勇気と怒りは、どちらも脅威や困難に対する反応として生じることがあります。これらの感情は、闘争・逃走反応を活性化させることがあります。勇気は人を逆境へ真正面から向かわせ、怒りはしばしば、無力感や抑圧を感じたときの苛立ちから生まれます。
怒りは、人がヴェシカ・パイシスのもうひとつの円へと踏み出すための、主要な要素のひとつになり得ます。
もちろん、戦時下では迅速な意思決定が求められることが少なくありません。そのような強い圧力の中では、人は恐れの感情を脇に置き、必要に迫られて行動する傾向があります。何らかの行動を取らなければならないという圧力が、勇気を育むこともあります。
また、人はしばしば、自分たちの故郷を守るという同じ目的を持つ仲間と結束します。この共同体感覚も、恐れを乗り越え、勇気をもって行動するための力になります。
先に述べたように、恐れが脅威のある環境における生存本能であり、人間に備わった防衛機構であるとすれば、怒りは相対的な強さや、状況に対処できる可能性の評価と関わっています。
それでもなお、怒りは勇気ある行動を生み出す強力な動機となることがあります。人が不当な扱いを受けたと感じたり、不正義を目の当たりにしたりするとき、その怒りは、立ち上がり、変化を求める力となります。それは、困難な状況に対する勇気ある応答でもあります。
このように、勇気ある意図は、恐れに対抗する力を示します。その行動は、自衛や正義のために闘うという選択肢を与えます。戦争という文脈において、勇気は、個人や集団が自らを守るために立ち上がる力の源となり得ます。
実際、個人のエンパワーメントは、ヴェシカ・パイシスを形づくる重要な側面のひとつを象徴しています。それは、人間の成長や経験の重要性を示しており、エンパワーメントがしばしば集合的な努力から生まれることを表しています。
エンパワーメントとは、個人が自らの人生を形づくるための権限、資源、自信、判断力を得る、あるいは与えられる過程です。それは、個人の成長、自立、そして自らの目標に向かって行動する力を育みます。
歴史を通じて、人間の経験は直線的な時間の流れの中で繰り返されてきました。その旅路は、恐れと勇気のような対極にある状態のあいだを、螺旋状に行き来するエネルギーによって動かされています。
Christine Pageは、極端な状態として表れた極性は、バランスを回復するために、その補完的な側面へと向かう必要があると示唆しています。この見方において、ヴェシカ・パイシスを形づくる円は、原因と結果が人間の旅路の中でどのように展開していくのかを体現していると言えます。
新たな意図は、人の旅の中で現実となっていきます。Jason Shurkaは、あらゆる原因には結果があり、あらゆる結果には先立つ原因があると述べています。上がったものは、いずれ下がらなければなりません。すべての行動には「反応」があります。
人が自らの状況を受け入れたとき、はじめて、その人は自分の立場がまだ存在していない場所から、状況を変えるという意図をもって行動することができます。
James Dotyは、Mind Magic: The Neuroscience of Manifestation and How It Changes Everything の中で、マニフェステーションとは、自らの意図を潜在意識に置いていくプロセスを理解することであり、それには何度もの反復が必要だと述べています。
あらゆる破壊の中には、新しい創造があります。あらゆる終わりの中には、新しい始まりがあります。形なき領域とは、すべての形がそこから生まれる場です。存在するすべてのものは、ひとつの場所へと遡ることができます。それは、形あるものと形なきものの境界にある場所です。
この現実において、存在するすべてのものは同じ場所から生まれています。その場所は「形なき領域」と呼ばれます。そして、人間の思考は、その「形なき形」を方向づけるものになり得ます。人間の注意がどこに、どのように向けられるかによって、その人の人生の質が形づくられていくのです。
人間の人生を鳥の目で眺めてみると、人はしばしば、恐れと勇気という対照的な感情のあいだを揺れ動いていることがわかります。この相互作用を図にするなら、それは2つの重なり合う円が、それぞれの側面を表すヴェシカ・パイシスに似ているかもしれません。
このイメージは、私たちが常に行き来しているバランスを美しく捉えています。そして、これらの感情がどれほど深く絡み合い、私たちの経験や個人の成長を形づくっているのかを示しています。
それは、勇気がしばしば恐れの存在の中にこそ生まれること、そして恐れと勇気のどちらもが、私たちの旅路に欠かせない一部であることを思い出させてくれます。
さらに、ヴェシカ・パイシスは、2つの等しい円が、それぞれの中心を相手の円周上に置くことで生まれます。それぞれの円は「自分自身に忠実」でありながら、同時に、他者によってその中心に触れられています。
これは明らかに、2つの円が同一であることを示しています。そして、原因と結果が鏡のように互いを映し合っていることを明らかにしています。象徴的に言えば、それは「巡り巡って自分に返ってくる」ということを示しているのです。
5. Intersection of Cause and Effect
ひとつの円の円周が、もうひとつの円の中心に触れるように描かれると、そのあいだに楕円形の空間が生まれます。この形は、神聖な数学的デザインであり、「調和的整合性」と響き合う振動を持つものとされています。
ここでいう調和的整合性とは、ヴェシカ・パイシスが持つ振動的な共鳴を象徴しているように見えます。つまり、ひとつの円の円周がもうひとつの円の中心を通ることで生まれる、アーモンド形の交差領域です。
それは、内なる真実、すなわち感情と、外に表れる表現、すなわち行動が互いに照らし合い、意味、倫理、日々の生活がひとつの統合された全体として調和していくことを象徴しています。
幾何学における「交差」という概念は、この調和的整合性を理解する助けになります。幾何学では、2つ以上の幾何学的対象の交差とは、それらすべてに共通して属する点の集合を意味します。
その集合は、ひとつの点であることもあれば、線、曲線、平面、面、あるいはより大きな集合であることもあります。場合によっては、交差が存在しないこともあります。ユークリッド幾何学における典型的な例は、2本の異なる直線の交差です。平行でなければ、それらはひとつの点で交わります。平行であれば、交差は存在しません。
この交差を、内側にある信念や意図と、外側に表れる行動やふるまいの共通の場として見るなら、そこにスピリチュアリティにおける調和的整合性が見えてきます。
2本の線が交わる点は、信念や意図が具体的な行動へと移される、ひとつの一致点を意味します。そこに、意味ある解釈と倫理的な行動の核があります。
中心にある信念と日々の行動がひとつの点で重なるとき、そこに交差が生まれます。その場所から、意味と倫理的な重要性が自然に立ち上がり、行動の中に一貫性が流れていきます。
しかし、もし人間の信念が高尚であっても、日々の行動がそれを反映していなければ、その交差は見えにくくなります。交差を再び取り戻すことは、統合を取り戻すことでもあります。
たとえば、交わることのない平行線のように、信念と行動が一致していないように見えるとき、それは統合が失われている状態を示しています。交差を生み出すためには、信念を行動へ近づけることもできるし、行動を信念へ近づけることもできます。あるいは、新しい共通の土台を見出すこともできます。
感情、価値観、信念といった複数の側面を考えると、調和的整合性は、相互につながる交差点のネットワークとして現れます。全体としての整合性とは、これらの交差点が互いに整い、共に機能している状態です。
池に2つの石を投げ入れると、それぞれの波紋が広がり、その重なりによってヴェシカの形が生まれます。それは、三次元の世界における放射するエネルギーの交差を、二次元の象徴として表したものです。
John Liebenは、Sacred Geometry for Artists, Dreamers, and Philosophers の中で、量子力学的な視点から、次のようなイメージを示しています。ひとりの人が海辺に立っているとき、水平線はおよそ3マイル先に見えます。そして、その人の水平線上にある船の上に、もうひとりの人が立っていると想像します。
そのとき、2人の知覚の円を合わせると、直径およそ6マイルの範囲になります。2人の知覚の円は互いに交差し、共通のヴェシカ形の空間を形づくります。この形が、ヴェシカ・パイシスと呼ばれるものです。
Liebenは、最初の波、あるいは最初の円を、「創造の場」として見ることができると指摘しています。それは、次に描かれる2つ目の円、すなわち「始まりの衝動」を待っている場です。円の中心には、最初の円が生まれる原初の点があります。
このように、創造の場がひとつの行動の原因を明らかにし、その行動が起こるとき、ヴェシカ・パイシスは2つの異なる波の形を体現します。
重なり合う領域は、それらの波が共存し、互いに影響し合う場所を表しています。交差の中に生まれる形は、新しい波のパターンを生み出すことがあります。それは、干渉の結果として新たな現象が現れることを示しています。
この視点から見ると、波の干渉とは、異なるエネルギーや情報が相互作用し、新しい現象を生み出すことを意味します。
Liebenが指摘するように、干渉には、波同士が互いを強め合う建設的干渉もあれば、互いを打ち消し合う破壊的干渉もあります。ヴェシカを形づくる円同士の交差の過程は、波の交差と正確に対応しており、それは自然界においてもっとも普遍的な動的プロセスのひとつなのかもしれません。
ヴェシカ・パイシスは、こうした異なる行為がどのように調和し得るのかを、視覚的に示しています。
Liebenは、この過程が「自然の創造のあり方」と響き合っていると述べています。複雑な形は、原子構造のような単純な幾何学的形態から生まれていきます。そこには、さまざまなエネルギーが相互に作用し合う、創造的な母胎があるのです。
6. Mutual Flourishing in the Plant Kingdom
新しい創造は、2つのエネルギーが相互に作用するときにだけ生まれます。平和もまた、争いが終わったときに生まれます。2隻の船のまわりに広がる波紋が、互いを打ち消し合うようにです。
前述したように、行動が結果を生み、その結果が次の行動に影響を与えていくあり方は、ヴェシカ・パイシスの交差領域に描かれる新しい可能性を反映しています。
感情には、原因と結果という2つの基本的な側面が含まれています。人間の感情は、さまざまな状況への反応であり、多くの場合、その人の必要を反映しています。さらに、その感情の状態はエゴにも影響を与えます。
エゴ、とりわけ否定的なエゴは、自分自身の欲望や利益を優先しようとします。その欲望が強まると、他者との衝突が生じ、戦争へと発展することもあります。国家や個人による権力、資源、影響力の追求は、しばしば否定的なエゴによって動かされています。
動物が環境に対してただ反応するのとは異なり、人間は自分自身について省み、自らの存在を意識し、自分は何者なのかを問わなければなりません。もし自分のアイデンティティ、信念、社会的立場が脅かされると、エゴは降伏するのではなく、押し返そうとします。
James Dotyは、ストレスホルモンの存在が細胞に自己保存へ向かう信号を送り、それによって自己中心的な行動を促し、エゴ的な傾向を強めると述べています。そうなると、人の注意は、より広く全体的な現実を見ることから、目の前の感覚的な経験へと向かっていきます。
またDotyは、人が「恐れのモード」に入ると、認知の働きが曇ってしまうとも述べています。世界を見るための知覚の窓は、透明ではなく、不透明なものになっていきます。そのとき人は、自分の習慣化された感情状態と自分自身との区別がつかなくなります。
多くの人は、災厄が先にあることを感じていながらも、それが起こる前に自分にそれを避ける力があるのかどうかを疑っています。
前述のように、人間は、自分のアイデンティティ、信念、社会的地位が脅かされていると感じるとき、押し返そうとします。人は、土地や資源のような目に見えるものだけで争うのではありません。しばしば、支配や、自己を主張しようとするエゴの欲求といった、目に見えないものをめぐって争っています。
いずれにしても、否定的なエゴは、人間にも動物にも影響を及ぼします。
しかし、人間や動物とは異なり、植物はどのような環境にあっても静かに在るように見えます。とはいえ、近年の研究は、植物が沈黙のうちにコミュニケーションを行っていることを示しています。
植物学者のRobin Wall Kimmererは、Braiding Sweetgrass: Indigenous Wisdom, Scientific Knowledge and the Teachings of Plants の中で、科学者たちが、ある木が昆虫による攻撃というストレスを受けたときに放出する、特定の化合物を発見していると述べています。
脅威を察知すると、木々は静かに近隣の木々へ知らせます。風に運ばれる揮発性の、フェロモンのようなホルモン化合物を通じて、危険の存在を伝えているのです。
木々は互いに警告し合い、侵入者は攻撃を受ける前に、さりげない方法で退けられます。その戦略は、誰かを傷つけることではありません。
さらに植物界においては、すべての繁栄は「相互的」です。マストフルーティング、つまり樹木が周期的に一斉に実をつける現象に関する研究の中には、その同期性が空気中の信号によるものではなく、地下のプロセスから生まれていることを示唆するものもあります。
森は、樹木の根に生息する菌根菌の地下ネットワークによって互いにつながっています。この相利共生を通じて、菌類は土壌中からミネラルなどの栄養分を探し出し、それを樹木へ届けます。その代わりに、樹木から炭水化物を受け取ります。
こうしたネットワークは、個々の木々のあいだに橋をかけ、森全体をひとつのつながったシステムとして結び、資源を再分配します。そこには、与えることと受け取ることが循環するネットワークがあり、森は統一されたひとつの群れのように機能しています。
興味深いことに、植物界と共に生きる先住民の人々は、贈り物への返礼とは、その林を世話し、害から守り、種を植え、新しい林が草原に日陰をもたらし、小さな動物たちを支えるようにすることだと考えています。
そこには、ひとりの創始者を崇拝するような構造はありません。自然に宿ると信じられている霊や神聖な本質、そして祖先への敬意があります。
神道やアニミズムを含む多くの古代の伝統や宗教は、与えられたものは返されるべきであると語ってきました。実際、日本には「金は天下の回りもの」という有名なことわざがあります。
このことわざは、搾取する者と搾取される者がいるのではなく、そこに人間の介入による支配構造が存在しないことを示しています。この文脈においては、怒りも、否定的なエゴも、攻撃的な行動も存在しません。
ヴェシカ・パイシスの2つの円を生み出すような原因と結果も、そこにはありません。ただ、その瞬間の状態があるだけです。それが、平和なのです。
7. Conclusion
相互繁栄は、内なる意図と外に表れる行動が、共有された交差点で重なり合うときに、もっとも豊かに現れます。その象徴が、ヴェシカ・パイシスです。
2つの円が重なり、等しいエネルギーが出会うことで、新しく調和した空間が生まれます。この形は、本論文の中心的な主張を表しています。すなわち、平和と調和は、違いを消し去ることから生まれるのではなく、個人、共同体、そして生態系を支える形で、信念と実践が一致することから生まれるということです。
この主張を支える中心的なモデルのひとつが、植物界です。森は、個々の木々がただ集まったものではありません。地下に広がる菌根菌ネットワーク、栄養の分かち合い、同期した成長のリズムによって支えられた、統合されたシステムです。
こうした仕組みは、森全体のしなやかな回復力を育んでいます。この生態学的な互恵性は、協力が単なる共存を超え、競争がある中でも相互繁栄を生み出し得ることを示しています。
先住民の知恵もまた、この倫理を深めています。贈り物には返礼が必要であり、土地への世話、場所への敬意、人々と土地、共同体、そして数えきれないほど多くの種を結ぶ生きたネットワークへの畏敬が求められます。
神道やアニミズムの視点も、このメッセージをさらに強めています。与えられたものは、継続的な世話と保全の行為を通じて返されるべきである、という考え方です。
この枠組みにおいて、互恵的な責任を伴わない経済的・政治的な力は、社会のつながりを分断し、恐れを燃え広がらせる傾向があります。
本論文はまた、ヴェシカ・パイシスを支える、あるいは損なう道徳心理にも焦点を当てています。恐れ、不安、そしてエゴは、最初の円を歪め、2つ目の円を不安定にし、結果として交差領域を歪ませ、調和的整合性を失わせることがあります。
それに対して、正義、相互の責任、包摂的な共同体に根ざした所属感は、2つの円が重なり合う空間を支える力になります。
勇気は、恐れを否定することから生まれるのではありません。恐れを、共有された土台を広げる建設的な行動へと向け直すことから生まれます。
怒りもまた、原理に基づいた行動へと変容するとき、勇気ある連帯を促す力となり得ます。しかし、制御されない恐れやエゴは、2つの円を互いに背けさせる危険があります。
その結果、信念と行動がもはや一致しない社会的な幾何学が生まれ、調和的整合性は争いの中へと解けていきます。
したがって、本論文の結論は、具体的な実践へと向かいます。強制ではなく、居場所を育むこと。分離ではなく、相互依存を育むこと。そして、人々と生態系に対する互恵的な責任を制度化する政策、教育、儀式を実践することです。
紛争解決、環境保全、教育の実践は、ヴェシカ・パイシスを手がかりに捉え直すことができます。それは、意図と行動を一致させ、共同体と環境を結ぶ相互の制約と責任を認識するための、ひとつの思考の道具となります。
最終的に、平和と調和は、多様な視点が、意味と責任を共有する場へと織り込まれるときに生まれます。
本論文は、相互繁栄への道が、ケア、互恵性、集合的な行動という重なり合う円を育むことにあると結んでいます。その重なりの中に、人間の繁栄と、より広い生命世界の健やかさを支える、持続的な調和的整合性が生まれていくのです。
書誌情報
論文タイトル:
Mutual Flourishing in the Vesica Pisces
著者:
Margaret Hiro Kimishima
所属:
International Center of Transdisciplinary Research Japan(ICTRJ)代表理事、CIRET Paris affiliated
掲載:
Proceedings of the Symposium: The Role of Transdisciplinarity as a Scientific and Cultural Approach in Preventing Global Conflicts of Modern Civilization
DOI:
https://doi.org/10.62768/ADJURIS/2026/2/10
キーワード:
平和、ヴェシカ・パイシス、植物界、怒り、勇気、意図、恐れ
peace, vesica piscis, plant kingdom, anger, courage, intention, fear
原文を読む
論文の原文は、Adjurisの掲載ページよりご覧いただけます。

コメント